がんの終末期を生きる母が「今が幸せ」と穏やかに言えるのは、なぜだろうと思っていました。
そして最近、「自律していたからではないか」──そんな結論が見えてきました。
5月まで、自宅で仕事をしながら、日常生活も普通に送れていた母。それだけに、体力も日常の自由も少しずつ失われていくことに本人もショックを受けているのではないかと思っていました。
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しかし、悲観に暮れることもなく、その変化を冷静に受けとめ、今の自分を起点に希望を描き「これがしたい」「こうなりたい」と、意欲的に言葉にしていました。

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「今が幸せ」と言える理由を探して
なぜ、あの状況で「今が幸せ」と言えるのだろう。
その穏やかさと前向きさの理由が、ずっと気になっていました。
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そして最近になって、「自律していたからではないか」というひとつの結論に辿りつきました。
自律性が支えるスピリチュアル・ウェルビーイング
終末期ケアの医療者向け書籍の中に、その姿勢の背景を読み解くヒントがありました。
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スピリチュアル・ウェルビーイングという考え方のなかで分類されている「今の自分の肯定」「自分らしさの保持」。おそらく、この2つが保たれていたのだと思います。
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だからこそ、穏やかで意欲的な日々を過ごせていたのではないか──
そう感じたのです。

病気の進行とともに、自立は難しくなっていきました。けれど、言動には一貫して自律性がありました。
それが保たれていたのは、入院生活を支えてくださる医療スタッフの方々が、寄り添いながら母の自律性を尊重して関わってくださっていたからです。
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その姿勢に学びながら、私たち家族もまた、自分たちなりの支え方を見つけていきました。
身体が衰え、日常が変わっていく中でも、自律性が認められ、「自分らしく在れる」という実感があったこと──それが、「今が幸せ」という言葉の背景にあったのかもしれません。
自律性を尊重するという姿勢は、誰かを支えるときにも、自分自身を支えるときにも、大切にしたいまなざしだと感じています。