身体の機能が落ちてきても、「好きなこと」にはしっかりと反応する。
そんな母の様子に、あらためて“意欲の源”について考えさせられた3日間でした。
お見舞い初日。
目も開けず、話しかけても頷くだけ。それでも、食事の時間になると、介助のスプーンに口を開けて応えてくれました。普段は嫌がって残すことの多い緑の野菜も、目を閉じているからか、きれいに完食。
食後には、持参したプリンもきれいに平らげました。

オシャレ心が灯るとき
2日目の朝。
ワンピースに着替えた後、母の傍らでそのデザイン解説を始めると、ぱっと目を開き、じっとこちらを見つめていました。話が終わると、すうっと目を閉じ、再び眠りの中へ。
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そしてお見舞い最終日の3日目。
ついに短い会話ができるまでに回復。「川徳(お気に入りの百貨店)へ洋服を買にいきたい」と言い出しました──オシャレ心に、再び火が灯ったようでした。
家族によれば、体幹が弱く断念したものの「パーマをかけたい」とリクエストしたり、「新しいメガネがほしい」と言って一時帰宅の際、自宅で眼鏡を作ってもらうなど、先月までは、家族の協力を得ながら、おしゃれを楽しんでいたそうです。

人が動くとき
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「こうしたい!」という気持ちがあると、身体も反応する。
逆に、どうでもいいことや嫌なことには無反応で、好きなことにだけ反応する、子どものような素直さに思わず笑ってしまいました。
身体は衰えていくけれど、その奥にある“生きる力”は、思っていたよりずっと逞しい。
キャリア支援の現場でも、人が動き出すのは、義務感ではなく、「これが自分にとって大切だ」と思えた瞬間です。
命が動き出す原動力を、あらためて教えられた気がしました。