入院中の母と、LINEのビデオ通話をする日々。
医師からは、「8月上旬には意識状態が低下し,会話が難しくなるかもしれない」と伝えられていましたが、ありがたいことに、少しずつ食事を口から摂れるようになり、おしゃべりもどんどん達者になってきました。
そして、それに伴って──母らしい“お説教”も復活。
正直、カチンとくる瞬間もあって……
具合が悪かった頃の静けさを、ちょっとだけ懐かしく思うこともあります。

欲求の奥に見えた、生きようとする力
容態が悪かった時期には、他人への関心も、食べたいという気持ちも、何かをしたいという意欲も、すっかり影を潜めていました。
けれど、回復とともに、他人に対する関心や、日々への欲求がふたたび顔を出し始めます。
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あれが食べたい。
ここに行って、これが欲しい。
あの人に、こうしてほしい。
こんなことが、早くできるようになりたい……。
そんなふうに、要求や期待、不満が少しずつ湧き上がってくるようになりました。

“これから”を信じているからこそ、こぼれる言葉
一見すると、わがままや不満にも聞こえる言葉の数々。
けれどその根底には、「もっとよく生きたい」「日々を取り戻したい」という思いが感じられます。母は、「これからも生きていくこと」を、特別なことではなく、ごく自然な前提として受け止めているようでした。
そう気づいたときお説教でぶつけられる言葉の一つひとつに、なぜか前向きな力が宿っているように感じられました。
人は、「まだ人生が続く」と思えるからこそ、誰かに期待し、何かを望むことができる──。
そんな、当たり前のようで見落としがちなことを、教えてもらった時間でした。
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第12話 どんな環境でも、自分の幸せを選び取る強さ──母に学んだ生き方