余命宣告を受けたとき、次の季節を迎えることさえ難しい母に、リハビリを続ける意味はあるのだろうか、と思いました。
残された時間が限られている中で、運動機能や嚥下機能を回復させて、何になるのかと。

“笑顔”を取り戻す支援
でも、ほぼ一日中眠っている母の口にそっと手を入れ、「頬の筋肉が固まってしまうと、笑えなくなるから」と言ってマッサージを続けて下さった言語聴覚士さんのおかげで、目を覚ました母は、私たちの冗談にぎこちない笑顔で応えてくれました。
その時私は、初めて気づきました。
表情を取り戻すことは、ただの機能回復ではなく、“気持ちを外に出して伝える力”を守ることなのだと。その笑顔を見た時、ようやく実感できたのです。
その笑顔の時間を支えてくださったのは言語聴覚士さんによる、温かくも確かなリハビリの力でした。
表情の回復は、母と私たちに残された短い時間を豊かに彩るために必要な力だと信じて、支えて下さっていたのだと感じています。

“いま”を生きる力としてのリハビリ
そしてもう一つ、私の中で印象に残っているのが、“できる”を取り戻すリハビリの力です。
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理学療法士さんのサポートを受けて、ベットの上で両腕を上げたり、手足の指を動かしたりと、身体が動く様子を得意げに披露し、私の方を見て誇らしそうに微笑みかけるのです。
「歩けるようになったら、スーパーに行ってプリンを買いたい」と語るその声の明るさには、母が大切にしてきた“日常の楽しみ”への想いと、楽しげな気持ちが滲んでいました。
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理学療法士さんのリハビリは、できなくなったことを取り戻す「成長の喜び」や、今を生きる力、“これから”に小さな楽しみを見出す気持ち──未来に希望を持つ力を、母と一緒に喜び合いながら育ててくださっていたのだと感じています。

残された時間に、意味を与える支援
リハビリに向き合う母と、回復を支える専門職の姿から教わったのは、限られた時間のなかで「生ききる」ために身体機能を保つことが大切なのだということでした。
リハビリとは、未来を生きる準備ではなく、“いま”を生きる力を支えるもの。
その支援があったからこそ、母は、最期の時間を「生きている自分」として喜びと共に過ごせたように思います。
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