母の余命を告げられてから、10日が経ちました。秋には、旅立ちの時を迎えるようです。
緩和ケア病棟への転院が決まり、転院前に一度だけ「外出」という形で、数時間自宅に戻れることになりました。
抗がん剤治療は一度だけ受けましたが、母にとっては身体の負担の方が大きかったようです。治療を継続するよりも中断して緩和ケアに移行したほうが、命を保てる時間も長くなり、身体への負担も苦痛も少ない──そう医師は説明してくれました。

始まりゆく回復──静かに灯る、生きようとする力
余命の告知を受けた翌日、眠り続けていた母が目を覚ましました。
抗がん剤の副作用が抜けたのか、少しずつ回復が見られるようになりました。酸素マスクが外れ、言葉を交わせるようになり、モニターの装着が外されました。認知機能も回復し始め、前向きな意欲を語るようになっていきます。
日を追って回復していく姿を目にしていると、再び下り坂が訪れることはないのではないか、という気持ちになってきます。
理学療法士さんによる運動機能のリハビリも進み、負荷が上がるたびに「できること」が増えていきます。「歩けるようになるかしら?」と、にこやかに問いかける母の心には、回復への希望の芽生えを感じました。
3週間以上、食事も水分も取れない状態だったにもかかわらず「お腹がすいた。ソフトクリームが食べたい」と言い出した時には、驚きを越えて笑いがこみ上げてきました。
最初で最後の抗がん剤治療は、辛い思いをさせた一方で、心身の回復を後押ししてくれたようです。期間限定とはいえ、治療前よりも元気な母に再会することができました。

叶えられた願い──母とふたたび語り合う時間
意識が戻ってからは、アルバムを持ってお見舞いに行き、一緒に写真を眺めながら、母の幼少期から今に至るまでの思い出話に耳を傾けています。医師によると、こうして会話ができるのもおそらく8月上旬までとのこと。
どこで聞いたか忘れましたが、抗がん剤は「幸願剤」と書くという話を聞いたことがあります。もう一回だけ、母と話せたら幸せだろうなという私たち家族の願いを叶えてくれました。
一時帰宅を心待ちにしている母も、「もうだめか(死ぬか)と思った。家には戻れないと思った」と自宅に帰れる喜びを口にしていました。
いつ急変するかは分からない、と言われているので覚悟はしていますが、病室で笑いあえる幸せな時間は、緊張感と悲しみをそっと遠くに追いやり、心をほっとさせてくれます。
せめて数分だけでも話したいと、祈り願った奇跡の時間を支えてくれている医療者の方々や、医療の力に感謝しつつ、残された時間を過ごしています。
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第4話 ケアする家族はなぜ「第2の患者」になるのか