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第1話 突然訪れる終末期─「元気なうちの終活」を考える

もう親は後期高齢者なのだから、元気なうちに、きちんと聞いておくべきだ。
そう心に決めて、私は帰省の日を迎えました。

ゴールデンウィークの帰省中、家族が揃った場で、思い切って両親に就活の話を切り出しました。
「まだ二人とも元気だから、必要性は感じていないと思う。でもいつその時が来るか分からない年齢だから、今の考えを聞かせてほしい」と。

持参した終活本の小冊子を開きながら私はひとつひとつ、交互に問いかけ、その時の意思を記録していきました。

延命治療の希望、葬儀の形式、危篤時に連絡してほしい人──
ふたりは少し戸惑いながらも、言葉にしてくれました。

それから一か月後、母の末期がんが発覚。
そして、抗がん剤治療後に危篤状態に陥りました。

あの日、まだ遠い未来の話だろうと思いながら受け取った意思を、現実として受け止める日がこんなにも早く訪れるとは、想像もしていませんでした。

受け取った意思と、始まった現実

そして今、私は連日、母が入院している病院に通っています。
病状はひと山越え、少し落ち着きつつありますが、両親の希望にそって、自宅での葬儀の準備(断捨離と大掃除)も並行して進めていました。

ゴールデンウィーク中に、希望する葬儀の形式、参列者、危篤時に連絡してほしい人、延命治療などについて、あらかじめ母の意向を聞いておいて本当によかったと、今、しみじみ感じています。

まさか、こんな未来が二か月も経たずに訪れるとは、あの時は思いもしませんでした。

けれど、あの日交わした対話は、母の意志を尊重しようという、家族全員の思いを一つにまとめてくれました。そのおかげで、意見が割れることもなく、判断に迷う場面も少なくすんでいます。

それでも選ばなければならない現実

とはいえ、延命治療については、心肺蘇生や人工呼吸器のイメージしか持っておらず、そこまでしか確認できていなかったため、医師から詳しい説明を受けた際に答えられないこともありました。

そのたびに、家族で話し合いながら、迷いと向き合い、選び取るしかない苦しさにも直面しています。

時折、母の意識が回復することもありますが、衰弱した母にあらためて意向を尋ねることは酷に思え、できずにいます。

もっとちゃんと聞いておけばよかった──。
そう思うことは、延命治療に限らず、いくつもありました。

あらためて、親が元気なうちに、未来について話をしておくことの大切さを、静かに、深く、痛感しています。

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第2話 突然変わる日常──短期帰省と正解なき決断の日々

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